鮎川誠RIP 1948-2023
鮎川誠さんが亡くなったそうです。

僕はブルース銀座を立ち上げた1996年、鮎川さんとちょっとしたやり取りがありました。

ちょうど同じ頃シーナ&ロケッツのウェブサイトが立ち上がってました。そのサイトはなんと、鮎川さんが自ら見よう見まねで作っていたのです。当時鮎川さんはインターネットに夢中になっていたようで、面白いウェブサイトを見つけてはシナロケのサイトにリンクしていました。そんな過程でブルース銀座も見つけてもらいました。僕も当時見よう見まねでhtmlを書き、画像をスキャンして、ブルース銀座を作っていたのです。音楽のこと、ウェブサイトのこと、メールを送るとすぐ返事が来ました。従来連絡するすべもなかったアーティストや著名人との繋がりが多く生まれたWWW元年でした。

1997年、僕がニューオーリンズにジャズフェスを見に行った際の話ですが、直前に連絡をもらい、鮎川さんも行くので向こうで会おうとのこと。現地に着くと指定されたフレンチクォーターのギャラリーへ。お店のスタッフに聞いてみましたが「彼はまだ来てないよ」と言われ、いつ来るかもわからないので、その場を後に。

翌日から僕らは昼も夜もライヴ漬けの毎日に突入。数日後だったか、ハウス・オヴ・ブルースでタジ・マハールのライヴを見てホテルに戻ったとき、時間は深夜を回っていたでしょうか。フロントの爺さんが「マコトから電話があったよ」と。

折り返し電話をしてみたら、鮎川さんが今からホテルに来ないかと。

鮎川夫妻が宿泊していたのはフレンチクォーターの中心のオムニ・ホテルだったかな。行ってみると、中庭に鮎川さんがシーナとザリガニをだーんっと広げてくつろいでいるではありませんか。「今日昼間通りででザリガニを売ってるのを見つけて丸ごと買ってきたけ、たくさんあるから食べてよ」と鮎川さん。やることが大胆だなぁと思いつつ、ご厚意に甘えました。深夜ということもあるのかも知れませんが、そこそこ広くおしゃれな中庭は鮎川夫妻と僕と妻、そしてザリガニの占有状態でした(笑)。

ザリガニにしゃぶりつきながらしばし歓談。何を話したか全く覚えていませんが、他愛もない音楽話をしていたんではないかと思います。鮎川夫妻は偉ぶったところが全くなく、僕らにも旧友のように接してくれました。特にロックンロールやブルースの話をすると、鮎川さんは少年のように嬉しそうに目を輝かせていたのが印象的でした。鮎川さんにとってはローリングストーンズもウィルコ・ジョンソンもマディ・ウォーターズもロバート・ジョンソンも、オーティス・レディングもみんなロックンロールなんだろうなと思いました。ジャンルなんて関係ない。自分の好きなものはとことん好き。そんな感じだと思いました。

鮎川さんのパソコンとインターネットへの思いをつづった「DOS/Vブルース」という本がこの頃出版されました。興味を持ったことに一途になる鮎川さん。面白いなあと思いましたし、大いに共感もしました。僕はMacユーザでしたが。。。

帰国後もJIROKICHIにライヴを見に行き、休憩時間に話したのを覚えています。お店の前の路上でうんこ座りをしながら普通に(笑)。

2016年のクリス・ファーロウの来日のときだったか、見に来られていた鮎川さんに挨拶しましたが、お会いしたのはそれが最後となってしまいました。昨年5月29日、日比谷野音のTOKYO BLUES CARNIVALでは三宅伸治のバンドにゲスト出演。変わらずお元気そうでしたが、発表によると癌が見つかったのはまさに5月だったといいますから、恐らく余命宣告を受けた直後だったんでしょう。そんなことは微塵も感じさせないいつもの鮎川さんでした。

27年前に出会ったシナロケのウェブサイト、今も基本的にあの当時のままの手作り感満載です。業者に任せればいいのに、でもそこもまた鮎川さんらしいというか、ロックンロールなんだなーと思います。

鮎川さん、安らかにとは言いません。向こうの世界でも爆音かき鳴らしてください!
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