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5月8日はロバート・ジョンソンの誕生日
5月8日はデルタ・ブルースの雄、ロバート・ジョンソンのお誕生日です。彼は1911年5月8日、ミシシッピ州南部のヘイゼルハーストに生まれました。そして1936年、1937年の2回のセッションで29曲をレコーディングしたのち、1938年8月16日、27歳の若さで亡くなったのです。彼の死についてはジョンソンが手を出した女の夫によって殺害されたと言われていますが、謎な部分も多く、死亡証明書には死因すら書かれていません。

亡くなってから85年が経過してなお彼の音楽は多くの人を惹きつけています。

3年前の2020年、彼の義理の妹であるアニエ・アンダーソン(Annye C. Anderson)による回想録が英語で出版され、話題になりました。その内容はこれまでのジョンソンのイメージを覆すもので、僕もおおいに興味をもって読みました。この本は近々和訳版が出版されるそうです。是非ともブルース・ファンには読んでほしい一冊です。

3年前にブルース&ソウル・レコーズ誌で僕書いた記事を記事をここに紹介させてもらいます:

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Brother Robert: Growing Up with Robert Johnson
Annye C. Anderson
Hachette Books
ISBN-10: 0306845261
ISBN-13: 978-0306845260

2020年春、ロバート・ジョンスンの未公開写真とされるものが公開され、ちょっとした話題となった。その写真を持っていたのがこの本の著者アニエ・アンダースン、今年94歳となるジョンスンの義理の妹に当たる人物だ。写真が本物ならば、彼の写真としては3枚目ということになる。

しかし正直僕は懐疑的だった。前回の写真が公開されてから30年が経っている。その間にもジョンスンとされた写真が出回ったことがあったが結局、鑑定の結果否定されている。そんな写真があるのならば、なぜ今まで「隠し持って」いたのか?血縁関係もないこの人物は何者なのだろうか?当初は、そんな疑いを持ってしまった。

しかし、この本を読み進めるうちにアニエの語るストーリーに引き込まれ、そんな思いはどこかへ消えてしまった。ジョンスンが1938年に亡くなった際、アニエはまだ12歳の少女だったが、生まれてからそのときまで生活を共にしており、彼の人となりを本書で克明に語っている。今回の写真は、本書執筆の話が出た段階で彼女が出してきたものであり、既に公開されているジョンスンがタバコを加えている写真と同じときに撮影されたものだ。その際、彼女はジョンスンと一緒にいたといい、その状況も語っている。偽物と疑う理由はないと感じた。

アニエは、ジョンスンの母親(ジュリア・ドッズ)の夫だったチャールズ・ドッズを父親に持ち、彼の再婚相手が母親だ。ジョンスンが生まれた際ジュリアはチャールズとまだ婚姻関係にあったものの、ジョンスンの父親は別の男性だった。このためアニエとジョンスンには血縁関係はない。しかし、ジュリアはチャールズと別れた後、生活に困窮し幼いジョンスンをチャールズに託したのだった。その後、アニエが生まれた。2人はそういう経緯で家族として一緒に生活していたのだ。アニエは幼少期をメンフィスでジョンスンと過ごし、その後ワシントンDCで大学を卒業、ボストンで教師となった。現在はマサチューセッツ州アマーストに住んでいる。

本書は、「Beale Street Dynasty」等の著書で知られるライター、プレストン・ローターバックがアニエにインタヴューを行い、それを書き起こす形で執筆された。アニエは本書を出すに当たり、1930年代のメンフィスについて造詣が深いライターを希望していたことから彼に白羽の矢が立ったという訳だ。

この本の魅力は、これまで我々音楽ファンが思い描いていたジョンスンの人物像とは全く違った視点から彼のことを描き出していることにある。これまでのジョンスンのイメージと言えば、放浪生活を送りながら音楽活動をしたこと、あるいは悪魔に魂を売り渡したことなどはよく言われるが、彼がどういう人だったのかは謎に包まれたままだった。

アニエが今回ジョンスンのことを語ろうと決意したことはまさにそこに関係がある。彼女にはこれまでもインタヴューのオファーはあったそうだが、断っていたのだという。家族が関知しないところで、ジョンスンの伝説が独り歩きする状況で、自分が語っても、嘘の中に埋もれてしまうだけ、彼女はそう考えていた。しかし、彼女も歳を取り、今語らねば自分が死んだら本当のジョンスンの姿は知られることなく永遠に消えてしまうという思いから、本の出版を希望したのだそうだ。

彼女が強調しているのは、ジョンスンにも愛する家族がいたということ。彼女は本書の中で家族のことはもちろん、当時住んでいたメンフィスの街の様子、そして近所の人々のことなどを語っており、当時の彼らの生活が目に浮かぶようだ。

そしてそれは、当時の米南部の黒人の暮らしの厳しさをも教えてくれる。アニエの父チャールズは白人との暴力沙汰に巻き込まれ、ヘイゼルハーストに妻ジュリアを置いたまま、姓を変えてメンフィスに逃げざるを得なかった。ジュリアはその後別の男性との間にジョンスンを産み、チャールズはメンフィスでアニエの父親になった。アニエは本書の中で、その不幸な事件がなければジョンスンも彼女もこの世にはいなかっただろうと語っている。その事件のことを彼女は父親から直接聞いていたのだった。

彼女はジョンスンが亡くなったときのことにも触れている。彼の死を伝える電報が届き、家族が大きなショックを受けていたこと。すぐに家族が現地に赴き遺体を引き取ろうとしたものの、既に埋葬されていたこと。なぜ亡くなったのかはわからずじまいだったとことなどが記されている。

ジョンスンが亡くなったあとの事柄にページを割いているのも興味深い。アニエ自身のことも含め、その後の家族の足取りを記している。ジョンスンの姉、キャリー・トンプスンとスティーヴ・ラヴィア、マック・マコーミックとの関わり合いに関する記述は胸が痛む内容だった。特にラヴィアについては、キャリーから借りたジョンスンの写真を返却せず、無断で自分の著作物として登録してしまったこと。彼女のためにジョンスンのロイヤルティを回収すると申し出ておきながら、彼女には支払わず自らの私服を肥やしていたことなどを証言している。

アニエは、キャリーが1983年に他界するまで親密な関係を維持しており、ラヴィアとの揉め事では年老いたキャリーに代わり弁護士にコンタクトするなど、彼女をサポートしていた。ラヴィア、マコーミックの件はこれまでも語られてきているので、全く新しい話ではないが、ここで語られる内容は詳細で生々しい。「私の家族はロバート兄さんを二度失っているのです。一度は彼がミシシッピ州で殺害されたとき、二度目は金の亡者たちが作り話をばら撒き、私たちから写真と思い出を盗み、それによって金儲けをしたときです」アニエはそう語っている。

アニエが1970年代にジョンスンの情報を求めてブルース・ミュージシャンたちに会いに行った話も目を引く内容だった。中でも印象に残ったのはウォルター・ホートンの話だ。彼はメンフィスでジョンスンと共演しており、アニエもそれを覚えていた。それから40年後、彼女はケンブリッジのクラブでホートンに再会。彼はすっかり年老いていたが、アニエのことをよく覚えていたと言うのだ。

ジョンスンを直接知る最後の人がこのような形で語ってくれたことの意味は非常に大きい。和訳版もぜひ期待したい。
(陶守正寛; ブルース&ソウル・レコーズ誌 No. 155より)

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日本語版の出版に関する詳細がわかりましたら、改めて紹介したいと思います。


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ブルース | 23:11:00 | コメント(0)