2023-02-19 Sun
メンフィスのヴェテラン・ソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンズ(Spencer Wiggins)が2月13日に亡くなってしまいました。81歳でした。弟でソウル・シンガーのパーシー・ウィギンズが発表しています。死因は明らかにされていませんが、近年は認知症に加え臓器不全など健康上の問題を抱え、メンフィス市内の病院に入院していました。
スペンサーは1960年代にゴールドワックス・レーベルから名作シングルの数々をリリース。そのディープで迫力のある歌いっぷりで、多くのファンを魅了しました。2017年4月にはパーシーと共に来日も果たし、ビルボードライブ東京で公演を行なっています。
スペンサー・ウィギンズは1942年1月8日、メンフィス生まれ。母親は地元のバプテスト教会のクワイヤーで歌う歌手で、スペンサーも同じ道を進むようになりました。高校在学時に彼はパーシーや姉のマクシン・ウィギンズとニュー・ライヴァル・ゴスペル・シンガーズを結成し活動。そして高校を卒業したのちの1961年にはメンフィスのクラブ・シーンでソウルを歌うようになりました。
ソウル歌手として活動するようになって数年が経った頃、スペンサーのパフォーマンスを目にして声をかけた人がいました。彼の名前はクイントン・クランチ。1964年にゴールドワックス・レコードを設立したレコード・プロデューサーです。彼はスペンサーの才能を認め、ゴールドワックスに迎え入れたのでした。
1965年、ゴールドワックス傘下のバンドスタンドUSAから"Lover's Crime”でシングル・デビュー。飛び切りソウルフルなブルースで圧巻の歌声を聴かせています。その後1969年にゴールドワックスが閉鎖するまで在籍し、合計8枚のシングルをリリースしました。
1969年、今度はフェイムと契約したものの、リリースしたのはシングル2枚のみ。しかし、うち1枚”Double Lovin’”は1970年9月にR&Bチャートの44位を記録するヒットとなっています。続いてサウンズ・オヴ・メンフィスおよびXLレーベルからシングルをリリースしていますが、これらはヒットとはならず、"Double Lovin'"はスペンサーにとって唯一チャート入りした曲として歴史に刻まれたのでした。
1973年にはスペンサーは住みなれた故郷メンフィスを離れマイアミに移住しました。マイアミでは、バプテスト教会でクワイヤーを率いて活動をしていたようですが、ソウル・シーンからは姿を消してしまいました。しかしその後1977年に日本のヴィヴィドサウンドよりゴールドワックスのシングル音源が「Soul City U.S.A.」と題したLPでリリースされ、スペンサーに対する再評価が高まっていったのでした。
スペンサーは1960年代にゴールドワックス・レーベルから名作シングルの数々をリリース。そのディープで迫力のある歌いっぷりで、多くのファンを魅了しました。2017年4月にはパーシーと共に来日も果たし、ビルボードライブ東京で公演を行なっています。
スペンサー・ウィギンズは1942年1月8日、メンフィス生まれ。母親は地元のバプテスト教会のクワイヤーで歌う歌手で、スペンサーも同じ道を進むようになりました。高校在学時に彼はパーシーや姉のマクシン・ウィギンズとニュー・ライヴァル・ゴスペル・シンガーズを結成し活動。そして高校を卒業したのちの1961年にはメンフィスのクラブ・シーンでソウルを歌うようになりました。
ソウル歌手として活動するようになって数年が経った頃、スペンサーのパフォーマンスを目にして声をかけた人がいました。彼の名前はクイントン・クランチ。1964年にゴールドワックス・レコードを設立したレコード・プロデューサーです。彼はスペンサーの才能を認め、ゴールドワックスに迎え入れたのでした。
1965年、ゴールドワックス傘下のバンドスタンドUSAから"Lover's Crime”でシングル・デビュー。飛び切りソウルフルなブルースで圧巻の歌声を聴かせています。その後1969年にゴールドワックスが閉鎖するまで在籍し、合計8枚のシングルをリリースしました。
1969年、今度はフェイムと契約したものの、リリースしたのはシングル2枚のみ。しかし、うち1枚”Double Lovin’”は1970年9月にR&Bチャートの44位を記録するヒットとなっています。続いてサウンズ・オヴ・メンフィスおよびXLレーベルからシングルをリリースしていますが、これらはヒットとはならず、"Double Lovin'"はスペンサーにとって唯一チャート入りした曲として歴史に刻まれたのでした。
1973年にはスペンサーは住みなれた故郷メンフィスを離れマイアミに移住しました。マイアミでは、バプテスト教会でクワイヤーを率いて活動をしていたようですが、ソウル・シーンからは姿を消してしまいました。しかしその後1977年に日本のヴィヴィドサウンドよりゴールドワックスのシングル音源が「Soul City U.S.A.」と題したLPでリリースされ、スペンサーに対する再評価が高まっていったのでした。
2003年にはゴスペルのアルバム「Key To The Kingdom」をリリースし健在ぶりをアピール。そして2009年と2011年にはイタリアのポレッタ・ソウル・フェスティバルに出演し久々にソウル・ショーを行ないました。その様子は動画で公開され、長い歳月を経てなお彼がソウル・シンガーとしてバリバリ現役であることを知らしめたのです。そんな流れの中、英ケント・レーベルからは、未発表曲も加えた形でゴールドワックス、フェイム、XLの音源がコンピレーションでリリースされました。
そして2017年、遂にスペンサーは初来日を果たします。目の前に登場した彼はポレッタの映像と比べるとだい老け込んだ印象はありましたが、歌い出すとその説得力たるや他の追随を許さない味を感じさせました。
スペンサー&パーシー・ウィギンズ初来日公演レポート
(ビルボードライブ東京, April 18, 2017)
http://bluesginza.web.fc2.com/black.ap.teacup.com/sumori/1734.html
残念ながら、これが唯一の来日公演となってしまいましたが、日本のソウル・ファンにとってはまさに長年の待望の来日でした。
弟パーシーとはわずか1歳の歳の差ですが、軽い足取りで若々しかったパーシーと比べ、スペンサーは対照的に歩くのも苦しそうでした。もしかすると、6年前なので、まだ75歳でしたが、もうあの頃から健康問題を抱えていたのかもしれません。
せっかくソウル・シーンにカムバックしたのだから、カムバック作を出してほしかったなと言う思いもありますが、一度だけでもその姿を目撃できたのは貴重な体験でした。
残念ながら、これが唯一の来日公演となってしまいましたが、日本のソウル・ファンにとってはまさに長年の待望の来日でした。
弟パーシーとはわずか1歳の歳の差ですが、軽い足取りで若々しかったパーシーと比べ、スペンサーは対照的に歩くのも苦しそうでした。もしかすると、6年前なので、まだ75歳でしたが、もうあの頃から健康問題を抱えていたのかもしれません。
せっかくソウル・シーンにカムバックしたのだから、カムバック作を出してほしかったなと言う思いもありますが、一度だけでもその姿を目撃できたのは貴重な体験でした。
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