2022-05-31 Tue
感無量でした。5月29日のブルース・カーニバル。
1986年に第1回目が開催されて以降、約四半世紀に渡って続きながらも2012年を最後に姿を消したこのフェス。かつて出演していたブルースの大物たちの多くが既に鬼籍に入り、後年は集客にも陰りが見えていたのも事実。しかもこの2年あまりはコロナが世の中を覆いつくし、はっきり言ってフェスどころの騒ぎではなかった。そんな中、フェスを10年ぶりに復活させると聞いたときは、わくわくしましたよ。本当か、マジか?って。
まだコロナ禍の中、東京1日のみの公演、出演者は基本的に日本のアーティストのみという足かせはありながらも、無事開催されましたよ。当日はちょっと(いやかなり?)暑いながらも、願ってもない快晴。前日は雨でぐずついていたのに、これは恵みの晴れですね。
会場は、もちろん第1回目から変わらない日比谷野外音楽堂。新緑に包まれたあの野音の下に集うブルース好きのお客さんの雰囲気。まだ演奏が始まる前、会場に足を踏み入れたときから、もうフェスは始まっていましたよ。そして、10年ぶりに登場したごとうゆうぞう&カメリアマキコンビの司会進行。10年が経ったんだなぁという感慨もありましたが、感覚がよみがえってきました。月日を感じさせないほど鮮やかに。彼らが休憩時間にかました”主催者からのお知らせブルース”そしてウクライナにも捧げたごとうゆうぞうのカリンバ弾き語りの”What A Wonderful World”。その懐かしい響きが日比谷の夕暮れにすっと溶け込んでいきました。
本編は三宅伸治がThe Red Rockとともに”Boogie Thing”をかまして元気よくスタート。トリのスウィンギンバッパーズの一大セッションでフィナーレを迎えるまで3時間あまり。どれもこれも楽しく、最高な演奏でした。「外タレ枠」でブルース・ザ・ブッチャーと出演したニューオーリンズ在住の山岸潤史さんも無事来れてよかった。山岸さんはコロナ前の2019年に帰国ツアーをやって以来帰国できていなかったので3年ぶりでした。お元気そうで何よりでした。
大所帯のバンドが続くなかで、唯一たった一人で大きなステージに登場したコージー大内も自分の味を十分出したパフォーマンス。間近で見ていて大きな舞台での緊張感も伝わって来てそれもよかったな。
こういうフェス自体相当久々なので、久しぶりのあの人も、意外なあの人も、色々な人に会いました。みんな楽しそうでした。
まだコロナ禍の中、東京1日のみの公演、出演者は基本的に日本のアーティストのみという足かせはありながらも、無事開催されましたよ。当日はちょっと(いやかなり?)暑いながらも、願ってもない快晴。前日は雨でぐずついていたのに、これは恵みの晴れですね。
会場は、もちろん第1回目から変わらない日比谷野外音楽堂。新緑に包まれたあの野音の下に集うブルース好きのお客さんの雰囲気。まだ演奏が始まる前、会場に足を踏み入れたときから、もうフェスは始まっていましたよ。そして、10年ぶりに登場したごとうゆうぞう&カメリアマキコンビの司会進行。10年が経ったんだなぁという感慨もありましたが、感覚がよみがえってきました。月日を感じさせないほど鮮やかに。彼らが休憩時間にかました”主催者からのお知らせブルース”そしてウクライナにも捧げたごとうゆうぞうのカリンバ弾き語りの”What A Wonderful World”。その懐かしい響きが日比谷の夕暮れにすっと溶け込んでいきました。
本編は三宅伸治がThe Red Rockとともに”Boogie Thing”をかまして元気よくスタート。トリのスウィンギンバッパーズの一大セッションでフィナーレを迎えるまで3時間あまり。どれもこれも楽しく、最高な演奏でした。「外タレ枠」でブルース・ザ・ブッチャーと出演したニューオーリンズ在住の山岸潤史さんも無事来れてよかった。山岸さんはコロナ前の2019年に帰国ツアーをやって以来帰国できていなかったので3年ぶりでした。お元気そうで何よりでした。
大所帯のバンドが続くなかで、唯一たった一人で大きなステージに登場したコージー大内も自分の味を十分出したパフォーマンス。間近で見ていて大きな舞台での緊張感も伝わって来てそれもよかったな。
こういうフェス自体相当久々なので、久しぶりのあの人も、意外なあの人も、色々な人に会いました。みんな楽しそうでした。
売り切れとまではいかないまでもお客さんも結構埋まっていました。後ろの席は空席が目立っていましたが、それは本当に空いているわけではなく、コロナ対策の一環で飲食が後方の指定スペースに限定されていたので、みんなそちらで酒を飲んでいたからだと思います。実際、後方通路あたりは終始たくさんの人で賑わっていました。
来年もよりパワーアップして開催できることを期待しています。そのときはまた集いましょう!
来年もよりパワーアップして開催できることを期待しています。そのときはまた集いましょう!
TOKYO BLUES CARNIVAL 2022基本情報
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2022-05-30 Mon
1970年代から80年代のロサンゼルスのブルース・シーンにおいて活躍したブルース・ギタリスト、ハリウッド・ファッツ(本名:マイケル・レナード・マン)。
彼が結成したハリウッド・ファッツ・バンドは、ウェスト・コーストらしいスウィング感にあふれ、ブルース・バンドの理想形とも言えるサウンドを展開していました。しかし、彼はドラッグの過剰摂取により、32歳の若さで他界。このバンドは伝説的な存在となったのでした。
バンドの元メンバーでキーボード奏者のフレッド・キャプランがハリウッド・ファッツのドキュメンタリー映画を作るべく動き出しています。映画には未公開の演奏映像を始め、ミュージシャンたちのインタヴュー映像も多く含まれる予定とのことです。ハリウッド・ファッツの動く映像自体僕は見たことがないので、これは非常に期待してしまいます。
バンド唯一のオリジナル・アルバム(Hollywood Fats Band)音源 (1979年)
尚、ファッツが亡くなったあと、バンドのメンバーたちは各方面で活躍しておりますが、2000年代に入ってから、ファッツの代わりにジュニア・ワトソンやカーク・フレッチャーが加入する形で「ハリウッド・ブルー・フレイムス」という名前でバンドを再結成しています。これまで同名義にて4枚のアルバムをリリースしていますが、オリジナル・ドラマーのリチャード・イネスが2015年に、ベースのラリー・テイラー(キャンドヒートやトム・ウェイツとの活動でも知られた人です)が2019年に亡くなっています。彼らを含むバンドの足跡についてもどう触れられるのか、非常に興味があります。
フレッドは、映画の制作資金をクラウドファンディングにて募っています。
ぜひ、ハリウッド・ファッツ・ファンの方はもちろん、音楽ファンの皆さんに幅広い支援をお願いします。
HOLLYWOOD FATS DOCUMENTARYクラウドファンディング・ページ(GoFundMe)
https://www.gofundme.com/f/hollywood-fats-documentary
Hollywood Fats Band/Hollywood Blue Flames公式サイト
https://www.hollywoodfatsband.com/
彼が結成したハリウッド・ファッツ・バンドは、ウェスト・コーストらしいスウィング感にあふれ、ブルース・バンドの理想形とも言えるサウンドを展開していました。しかし、彼はドラッグの過剰摂取により、32歳の若さで他界。このバンドは伝説的な存在となったのでした。
バンドの元メンバーでキーボード奏者のフレッド・キャプランがハリウッド・ファッツのドキュメンタリー映画を作るべく動き出しています。映画には未公開の演奏映像を始め、ミュージシャンたちのインタヴュー映像も多く含まれる予定とのことです。ハリウッド・ファッツの動く映像自体僕は見たことがないので、これは非常に期待してしまいます。
バンド唯一のオリジナル・アルバム(Hollywood Fats Band)音源 (1979年)
尚、ファッツが亡くなったあと、バンドのメンバーたちは各方面で活躍しておりますが、2000年代に入ってから、ファッツの代わりにジュニア・ワトソンやカーク・フレッチャーが加入する形で「ハリウッド・ブルー・フレイムス」という名前でバンドを再結成しています。これまで同名義にて4枚のアルバムをリリースしていますが、オリジナル・ドラマーのリチャード・イネスが2015年に、ベースのラリー・テイラー(キャンドヒートやトム・ウェイツとの活動でも知られた人です)が2019年に亡くなっています。彼らを含むバンドの足跡についてもどう触れられるのか、非常に興味があります。
フレッドは、映画の制作資金をクラウドファンディングにて募っています。
ぜひ、ハリウッド・ファッツ・ファンの方はもちろん、音楽ファンの皆さんに幅広い支援をお願いします。
HOLLYWOOD FATS DOCUMENTARYクラウドファンディング・ページ(GoFundMe)
https://www.gofundme.com/f/hollywood-fats-documentary
Hollywood Fats Band/Hollywood Blue Flames公式サイト
https://www.hollywoodfatsband.com/