2023-09-28 Thu
ソウル界の至宝、ダン・ペンとスプーナー・オールダムが4年ぶりの来日を果たしました。このデュオでの来日は3回目。ダン81歳、スプーナー80歳と共に80代となりました。
過去2度来日も見に行ってはいるのですが、これを逃したら次はないかもと思い、今回も見に行ってきました。
ダンは、ソウルの名曲を数多く書いたソングライター、スプーナーはフェイム・レーベルを始め多くのレコーディングにプレイを刻んだキーボードの名手です。1999年にデュオでの公演を収録したライヴ盤「Moments From This Theatre」をリリースし、過去2度の来日公演は多かれ少なかれ、このライヴ盤の曲目をなぞった形のショーでした。
今回も新しいことは何も期待していませんでしたが、ちょっと以前とは様子が違っていました。
この4年間で、2人はだいぶ歳を取ったように見えました。特にダンは老け込んだ印象です。杖をつき、ステージに向かう足取りもゆっくりしていて、思わず「お爺ちゃん頑張って!」と応援したくなりました。
カチッと用意していたことをやっていた感のあった過去のステージと違って、今回何が違ったって、全ては出たとこ勝負のような進行だったことです。
恐らく、セットリストは用意しておらず、「次は何をやろうか?」「ああ、その曲か。暫くやってないな。イントロはどんな感じだったっけね?」「こうかな?でも、キーはこれじゃないな」
大きな歌本を捲りながら、次の曲を決めていくスタイルで、やる前にイントロのフレーズを確認したり、まるで公開リハーサルの様相を呈していました。僕は東京公演4回の最後を見ましたが、別の回を見た人の話では、曲目は毎回結構変わっているようです。
ダンのソロ・アルバム「Nobody’s Fool」(1973年)から"I Hate You"でスタートしたこのセット。定番曲は少なめで、ライヴ盤に収録されていなかった曲が多かったのが印象に残りました。よくも悪くもマイペースなステージングでしたね。2人のトークは、まるで爺さんたちの茶飲み話という感じで、ボソボソ、だらだらしゃべっていて非常に聞き取りにくい。しかも曲にまつわるエピソードを語っていたかと思えば、いつの間に単なる2人の業務連絡になっている(笑)。そんな展開も以前のライヴではなかったように思いますが、なんだかほほえましかったですね。
ジャニス・ジョップリンの"Woman Left Lonely"では、彼女がレコーディングしたすぐ後に亡くなってしまったというエピソードを披露しつつ演奏しだしたものの、途中でダンがコード進行を忘れてしまい、完奏することなく終了。アンコール前のラストでやった”Zero Willpower”では、逆に今度はスプーナーが曲の展開を見失って、中断。ダンが「最後までやる?やめとく?」と問いかけしばし間があいたあと、途中から再開。2人も歳を取ったんだなあとしみじみ思いました。
ダンはところどころ高音域の声が苦しそうなところはありましたが、歌の艶は健在でした。今回は、スプーナーが3曲でリード・ヴォーカルを取ったのも新鮮な一面でしたが、これもダンが続けて歌うのはきついからなのかも知れません。スプーナーは語り同様、落ち着いた声で淡々と歌っていました。
アンコールは一番の有名曲”The Dark End of the Street”で締めましたが、これも予定していたものかはわかりません。「何をやろうか」とダンが言い、あちこちからこの曲の声が上がったので、「ああ、じゃあそれをやろう」みたいな感じでした。そういうやり取りも他のライヴでは予定調和的なものもありますが、これはそういう感じには思えませんでした。
実際、当然やるだろうと思っていた曲"You Left The Water Running"や"I'm Living Good"あたりはやらなかったもんね。
彼らの人柄がにじみ出た心温まるひとときでした。
過去2度来日も見に行ってはいるのですが、これを逃したら次はないかもと思い、今回も見に行ってきました。
ダンは、ソウルの名曲を数多く書いたソングライター、スプーナーはフェイム・レーベルを始め多くのレコーディングにプレイを刻んだキーボードの名手です。1999年にデュオでの公演を収録したライヴ盤「Moments From This Theatre」をリリースし、過去2度の来日公演は多かれ少なかれ、このライヴ盤の曲目をなぞった形のショーでした。
今回も新しいことは何も期待していませんでしたが、ちょっと以前とは様子が違っていました。
この4年間で、2人はだいぶ歳を取ったように見えました。特にダンは老け込んだ印象です。杖をつき、ステージに向かう足取りもゆっくりしていて、思わず「お爺ちゃん頑張って!」と応援したくなりました。
カチッと用意していたことをやっていた感のあった過去のステージと違って、今回何が違ったって、全ては出たとこ勝負のような進行だったことです。
恐らく、セットリストは用意しておらず、「次は何をやろうか?」「ああ、その曲か。暫くやってないな。イントロはどんな感じだったっけね?」「こうかな?でも、キーはこれじゃないな」
大きな歌本を捲りながら、次の曲を決めていくスタイルで、やる前にイントロのフレーズを確認したり、まるで公開リハーサルの様相を呈していました。僕は東京公演4回の最後を見ましたが、別の回を見た人の話では、曲目は毎回結構変わっているようです。
ダンのソロ・アルバム「Nobody’s Fool」(1973年)から"I Hate You"でスタートしたこのセット。定番曲は少なめで、ライヴ盤に収録されていなかった曲が多かったのが印象に残りました。よくも悪くもマイペースなステージングでしたね。2人のトークは、まるで爺さんたちの茶飲み話という感じで、ボソボソ、だらだらしゃべっていて非常に聞き取りにくい。しかも曲にまつわるエピソードを語っていたかと思えば、いつの間に単なる2人の業務連絡になっている(笑)。そんな展開も以前のライヴではなかったように思いますが、なんだかほほえましかったですね。
ジャニス・ジョップリンの"Woman Left Lonely"では、彼女がレコーディングしたすぐ後に亡くなってしまったというエピソードを披露しつつ演奏しだしたものの、途中でダンがコード進行を忘れてしまい、完奏することなく終了。アンコール前のラストでやった”Zero Willpower”では、逆に今度はスプーナーが曲の展開を見失って、中断。ダンが「最後までやる?やめとく?」と問いかけしばし間があいたあと、途中から再開。2人も歳を取ったんだなあとしみじみ思いました。
ダンはところどころ高音域の声が苦しそうなところはありましたが、歌の艶は健在でした。今回は、スプーナーが3曲でリード・ヴォーカルを取ったのも新鮮な一面でしたが、これもダンが続けて歌うのはきついからなのかも知れません。スプーナーは語り同様、落ち着いた声で淡々と歌っていました。
アンコールは一番の有名曲”The Dark End of the Street”で締めましたが、これも予定していたものかはわかりません。「何をやろうか」とダンが言い、あちこちからこの曲の声が上がったので、「ああ、じゃあそれをやろう」みたいな感じでした。そういうやり取りも他のライヴでは予定調和的なものもありますが、これはそういう感じには思えませんでした。
実際、当然やるだろうと思っていた曲"You Left The Water Running"や"I'm Living Good"あたりはやらなかったもんね。
彼らの人柄がにじみ出た心温まるひとときでした。
ツアーはこのあと9/28横浜、9/30大阪と続きます。
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Dan Penn & Spooner Oldham
Billboard Live Tokyo
Tue., September 26, 2023 (2nd set)
20:30-21:45
I Hate You
Memphis Women And Chicken
I Do
Tearjoint
Take A Good Look
Woman Left Lonely
I’m Your Puppet
Do Right Woman, Do Right Man
When I Let Jesus Take My Hand (Spooner - lead vocal)
There's A Party Goin' On (Spooner - lead vocal)
Glory Train
Is A Bluebird Blue?
不明 (Spooner - lead vocal)
不明
You Really Know How To Hurt A Guy
Zero Willpower
-encore-
The Dark End of the Street
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Dan Penn & Spooner Oldham
Billboard Live Tokyo
Tue., September 26, 2023 (2nd set)
20:30-21:45
I Hate You
Memphis Women And Chicken
I Do
Tearjoint
Take A Good Look
Woman Left Lonely
I’m Your Puppet
Do Right Woman, Do Right Man
When I Let Jesus Take My Hand (Spooner - lead vocal)
There's A Party Goin' On (Spooner - lead vocal)
Glory Train
Is A Bluebird Blue?
不明 (Spooner - lead vocal)
不明
You Really Know How To Hurt A Guy
Zero Willpower
-encore-
The Dark End of the Street
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Dan Penn & Spooner Oldham来日公演日程
2023年9月25日(月) ビルボードライブ東京
1st Stage開場16:30 開演17:30 / 2nd Stage 開場19:30 開演 20:30
2023年9月26日(火) ビルボードライブ東京
1st Stage開場16:30 開演17:30 / 2nd Stage 開場19:30 開演 20:30
2023年9月28日(木) ビルボードライブ横浜
1st Stage開場16:30 開演17:30 / 2nd Stage 開場19:30 開演 20:30
2023年9月30日(土) ビルボードライブ大阪
1st Stage開場15:30 開演16:30 / 2nd Stage 開場18:30 開演 19:30
ライブチャージ Service Area : ¥9,400 / Casual Area : ¥8,900 (各公演とも)
2023年9月25日(月) ビルボードライブ東京
1st Stage開場16:30 開演17:30 / 2nd Stage 開場19:30 開演 20:30
2023年9月26日(火) ビルボードライブ東京
1st Stage開場16:30 開演17:30 / 2nd Stage 開場19:30 開演 20:30
2023年9月28日(木) ビルボードライブ横浜
1st Stage開場16:30 開演17:30 / 2nd Stage 開場19:30 開演 20:30
2023年9月30日(土) ビルボードライブ大阪
1st Stage開場15:30 開演16:30 / 2nd Stage 開場18:30 開演 19:30
ライブチャージ Service Area : ¥9,400 / Casual Area : ¥8,900 (各公演とも)
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2023-02-19 Sun
メンフィスのヴェテラン・ソウル・シンガー、スペンサー・ウィギンズ(Spencer Wiggins)が2月13日に亡くなってしまいました。81歳でした。弟でソウル・シンガーのパーシー・ウィギンズが発表しています。死因は明らかにされていませんが、近年は認知症に加え臓器不全など健康上の問題を抱え、メンフィス市内の病院に入院していました。
スペンサーは1960年代にゴールドワックス・レーベルから名作シングルの数々をリリース。そのディープで迫力のある歌いっぷりで、多くのファンを魅了しました。2017年4月にはパーシーと共に来日も果たし、ビルボードライブ東京で公演を行なっています。
スペンサー・ウィギンズは1942年1月8日、メンフィス生まれ。母親は地元のバプテスト教会のクワイヤーで歌う歌手で、スペンサーも同じ道を進むようになりました。高校在学時に彼はパーシーや姉のマクシン・ウィギンズとニュー・ライヴァル・ゴスペル・シンガーズを結成し活動。そして高校を卒業したのちの1961年にはメンフィスのクラブ・シーンでソウルを歌うようになりました。
ソウル歌手として活動するようになって数年が経った頃、スペンサーのパフォーマンスを目にして声をかけた人がいました。彼の名前はクイントン・クランチ。1964年にゴールドワックス・レコードを設立したレコード・プロデューサーです。彼はスペンサーの才能を認め、ゴールドワックスに迎え入れたのでした。
1965年、ゴールドワックス傘下のバンドスタンドUSAから"Lover's Crime”でシングル・デビュー。飛び切りソウルフルなブルースで圧巻の歌声を聴かせています。その後1969年にゴールドワックスが閉鎖するまで在籍し、合計8枚のシングルをリリースしました。
1969年、今度はフェイムと契約したものの、リリースしたのはシングル2枚のみ。しかし、うち1枚”Double Lovin’”は1970年9月にR&Bチャートの44位を記録するヒットとなっています。続いてサウンズ・オヴ・メンフィスおよびXLレーベルからシングルをリリースしていますが、これらはヒットとはならず、"Double Lovin'"はスペンサーにとって唯一チャート入りした曲として歴史に刻まれたのでした。
1973年にはスペンサーは住みなれた故郷メンフィスを離れマイアミに移住しました。マイアミでは、バプテスト教会でクワイヤーを率いて活動をしていたようですが、ソウル・シーンからは姿を消してしまいました。しかしその後1977年に日本のヴィヴィドサウンドよりゴールドワックスのシングル音源が「Soul City U.S.A.」と題したLPでリリースされ、スペンサーに対する再評価が高まっていったのでした。
スペンサーは1960年代にゴールドワックス・レーベルから名作シングルの数々をリリース。そのディープで迫力のある歌いっぷりで、多くのファンを魅了しました。2017年4月にはパーシーと共に来日も果たし、ビルボードライブ東京で公演を行なっています。
スペンサー・ウィギンズは1942年1月8日、メンフィス生まれ。母親は地元のバプテスト教会のクワイヤーで歌う歌手で、スペンサーも同じ道を進むようになりました。高校在学時に彼はパーシーや姉のマクシン・ウィギンズとニュー・ライヴァル・ゴスペル・シンガーズを結成し活動。そして高校を卒業したのちの1961年にはメンフィスのクラブ・シーンでソウルを歌うようになりました。
ソウル歌手として活動するようになって数年が経った頃、スペンサーのパフォーマンスを目にして声をかけた人がいました。彼の名前はクイントン・クランチ。1964年にゴールドワックス・レコードを設立したレコード・プロデューサーです。彼はスペンサーの才能を認め、ゴールドワックスに迎え入れたのでした。
1965年、ゴールドワックス傘下のバンドスタンドUSAから"Lover's Crime”でシングル・デビュー。飛び切りソウルフルなブルースで圧巻の歌声を聴かせています。その後1969年にゴールドワックスが閉鎖するまで在籍し、合計8枚のシングルをリリースしました。
1969年、今度はフェイムと契約したものの、リリースしたのはシングル2枚のみ。しかし、うち1枚”Double Lovin’”は1970年9月にR&Bチャートの44位を記録するヒットとなっています。続いてサウンズ・オヴ・メンフィスおよびXLレーベルからシングルをリリースしていますが、これらはヒットとはならず、"Double Lovin'"はスペンサーにとって唯一チャート入りした曲として歴史に刻まれたのでした。
1973年にはスペンサーは住みなれた故郷メンフィスを離れマイアミに移住しました。マイアミでは、バプテスト教会でクワイヤーを率いて活動をしていたようですが、ソウル・シーンからは姿を消してしまいました。しかしその後1977年に日本のヴィヴィドサウンドよりゴールドワックスのシングル音源が「Soul City U.S.A.」と題したLPでリリースされ、スペンサーに対する再評価が高まっていったのでした。
2003年にはゴスペルのアルバム「Key To The Kingdom」をリリースし健在ぶりをアピール。そして2009年と2011年にはイタリアのポレッタ・ソウル・フェスティバルに出演し久々にソウル・ショーを行ないました。その様子は動画で公開され、長い歳月を経てなお彼がソウル・シンガーとしてバリバリ現役であることを知らしめたのです。そんな流れの中、英ケント・レーベルからは、未発表曲も加えた形でゴールドワックス、フェイム、XLの音源がコンピレーションでリリースされました。
そして2017年、遂にスペンサーは初来日を果たします。目の前に登場した彼はポレッタの映像と比べるとだい老け込んだ印象はありましたが、歌い出すとその説得力たるや他の追随を許さない味を感じさせました。
スペンサー&パーシー・ウィギンズ初来日公演レポート
(ビルボードライブ東京, April 18, 2017)
http://bluesginza.web.fc2.com/black.ap.teacup.com/sumori/1734.html
残念ながら、これが唯一の来日公演となってしまいましたが、日本のソウル・ファンにとってはまさに長年の待望の来日でした。
弟パーシーとはわずか1歳の歳の差ですが、軽い足取りで若々しかったパーシーと比べ、スペンサーは対照的に歩くのも苦しそうでした。もしかすると、6年前なので、まだ75歳でしたが、もうあの頃から健康問題を抱えていたのかもしれません。
せっかくソウル・シーンにカムバックしたのだから、カムバック作を出してほしかったなと言う思いもありますが、一度だけでもその姿を目撃できたのは貴重な体験でした。
残念ながら、これが唯一の来日公演となってしまいましたが、日本のソウル・ファンにとってはまさに長年の待望の来日でした。
弟パーシーとはわずか1歳の歳の差ですが、軽い足取りで若々しかったパーシーと比べ、スペンサーは対照的に歩くのも苦しそうでした。もしかすると、6年前なので、まだ75歳でしたが、もうあの頃から健康問題を抱えていたのかもしれません。
せっかくソウル・シーンにカムバックしたのだから、カムバック作を出してほしかったなと言う思いもありますが、一度だけでもその姿を目撃できたのは貴重な体験でした。