Happy birthday, John Lee Hooker
今日8月22日はジョン・リー・フッカーの誕生日です。

ジョン・リーは2001年に亡くなっていますが、1917年生まれとすると105回目のお祝いということになりますね。
おめでとうございます!

唯一無二の個性を持った人でした。
そして、僕個人としては、初めて見た生のブルースマンでした。僕にとってブルースの原点とも言える存在です。

随分昔のものですが、初めて見たジョン・リーのコンサートについての書き込みを今一度リンクを貼ってみます。

http://bluesginza.web.fc2.com/black.ap.teacup.com/sumori/1485.html

随分時間が経ちましたが、あのときのわくわくした気持ちはまだ持ち続けています。
そういう音楽の体験を大切に今後も過ごしたいと思います。

さあ、みなさんもジョン・リーを聴きましょう!



ブルース | 12:04:42 | コメント(0)
大プッシュ!ダイユーナ・グリーンリーフ
Diunna Greenleaf - I Ain't Playin'
今、僕が大ブッシュしたいブルース・シンガーがダイユーナ・グリーンリーフ(Diunna Greenleaf)です。

2022年5月に彼女は11年ぶりとなる新譜「I Ain’t Playin’」をリリースしました。これが凄くいいのです。彼女の出身地であるテキサス色をしっかり出しながら、トラディショナルなゴスペル、1970年代ソウルのエッセンスを散りばめた作品となっていて、4曲のオリジナル曲も粒ぞろいです。

リック・エストリン&ザ・ナイトキャッツでの活躍でも知られるキッド・アンダーセンがプロデューサーとギタリストを務め、ジェリー・ジェモット(bass)、ジム・ピュー(keyboards)、デリック・マーティン(drums)といった強力なメンツが彼女をバックアップ、加えてアラバマ・マイク(vocals)がゲスト参加し盛り上げます。

ダイユーナ・グリーンリーフ(Diunna Greenleaf)は、1957年テキサス州ヒューストンの生まれ。プロの歌手となったのは40歳を過ぎたころと遅咲きではありますが、これまでに新譜を含め4枚のアルバムをリリースしており、2007年の作「Cotton Field to Coffee House」はブルース・ミュージック・アウォードの新人賞も受賞しています。

これまでは、あまり日本では話題になることもなかった彼女ですが、2018年リリースのBloodest Saxophoneのテキサス・レコーディングのアルバム「アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー」では5人のフィーチャー・ヴォーカリストの一人として参加。3曲でリード・ヴォーカルを務めています。

新譜はココ・テイラーのカヴァー"Never Trust A Man"で幕を開けます。テンポを落としてココよりもファンキーに仕上げ、迫力の歌声を聴かせます。ホーン・セクションのアレンジもかっこいい!

続く”Running Like The Red Cross”は一転、軽快なリズムのR&Bナンバー。ジェリー・ジェモットのベースが抜群のグルーヴを生み出しています。

“If It Wasn't For The Blues”は、ホーン・セクションにフルートも加えたムードのあるマイナー・ブルース。アルバート・キングの”I’ll Play The Blues for You”あたりを彷彿させるサウンドです。

カヴァー曲で特に抜群のできなのが、ニーナ・シモンの"I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free”です。冒頭やさしく包み込むように歌うダイユーナですが、空気感を徐々に広げて盛り上げていく様は圧巻。終盤は大空を駆け抜けるような解放感に包まれます。色々な人がカヴァーをしている曲ではありますが、僕はそんな中でもこれはベストの一つだと感じました。

“Sunny Day Friends”は前作「Trying to Hold On」(2011年)でも歌っていた自作の持ち歌ですが、今回のバージョンは、よりジャジーにスウィングしています。

他、"When I Call Your Name”ではカントリー色をしっとり聴かせたり、はたまた"I Know I've Been Changed”はトラディショナルなスピリチュアルをブルージーに決めたりと、多彩な表情を見せ、飽きさせません。

今のところ、アマゾンなどではダウンロード販売かサブスクのみのようですが、Spotify、Apple Musicなどでも聴くことはできます。ぜひ聴いてみてください。

尚、4月にオンラインで彼女にインタビューをしました。6月25日発売のブルース&ソウル・レコーズ誌に、その記事が掲載される予定です。とても話が盛り上がり、色々と語ってくれましたよ。
今後のブルース・シーンで台風の目となっていく存在だと思います。
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Diunna Greenleaf - I Ain’t Playin’
(Little Village Foundation)
1. Never Trust a Man 4:17
2. Running Like the Red Cross 3:44
3. If It Wasn't for the Blues 5:53
4. Answer to the Hard Working Woman 3:40
5. I Wish I Knew How It Would Feel to Be Free 3:42
6. Sunny Day Friends 4:37
7. When I Call Your Name 3:59
8. I Don't Care 2:59
9. Damned If I Do 3:56
10. I Know I've Been Changed 3:21
11. Back Door Man 5:59
12. Let Me Cry 4:58
13. My Turn, My Time 4:02

Diunna Greenleaf公式サイト
https://diunna.com/


ブルース | 01:34:50 | コメント(0)
10年越しに復活したブルース・カーニバル
bluescarnival2022.jpg

感無量でした。5月29日のブルース・カーニバル。

1986年に第1回目が開催されて以降、約四半世紀に渡って続きながらも2012年を最後に姿を消したこのフェス。かつて出演していたブルースの大物たちの多くが既に鬼籍に入り、後年は集客にも陰りが見えていたのも事実。しかもこの2年あまりはコロナが世の中を覆いつくし、はっきり言ってフェスどころの騒ぎではなかった。そんな中、フェスを10年ぶりに復活させると聞いたときは、わくわくしましたよ。本当か、マジか?って。

まだコロナ禍の中、東京1日のみの公演、出演者は基本的に日本のアーティストのみという足かせはありながらも、無事開催されましたよ。当日はちょっと(いやかなり?)暑いながらも、願ってもない快晴。前日は雨でぐずついていたのに、これは恵みの晴れですね。

会場は、もちろん第1回目から変わらない日比谷野外音楽堂。新緑に包まれたあの野音の下に集うブルース好きのお客さんの雰囲気。まだ演奏が始まる前、会場に足を踏み入れたときから、もうフェスは始まっていましたよ。そして、10年ぶりに登場したごとうゆうぞう&カメリアマキコンビの司会進行。10年が経ったんだなぁという感慨もありましたが、感覚がよみがえってきました。月日を感じさせないほど鮮やかに。彼らが休憩時間にかました”主催者からのお知らせブルース”そしてウクライナにも捧げたごとうゆうぞうのカリンバ弾き語りの”What A Wonderful World”。その懐かしい響きが日比谷の夕暮れにすっと溶け込んでいきました。

本編は三宅伸治がThe Red Rockとともに”Boogie Thing”をかまして元気よくスタート。トリのスウィンギンバッパーズの一大セッションでフィナーレを迎えるまで3時間あまり。どれもこれも楽しく、最高な演奏でした。「外タレ枠」でブルース・ザ・ブッチャーと出演したニューオーリンズ在住の山岸潤史さんも無事来れてよかった。山岸さんはコロナ前の2019年に帰国ツアーをやって以来帰国できていなかったので3年ぶりでした。お元気そうで何よりでした。

大所帯のバンドが続くなかで、唯一たった一人で大きなステージに登場したコージー大内も自分の味を十分出したパフォーマンス。間近で見ていて大きな舞台での緊張感も伝わって来てそれもよかったな。

こういうフェス自体相当久々なので、久しぶりのあの人も、意外なあの人も、色々な人に会いました。みんな楽しそうでした。

売り切れとまではいかないまでもお客さんも結構埋まっていました。後ろの席は空席が目立っていましたが、それは本当に空いているわけではなく、コロナ対策の一環で飲食が後方の指定スペースに限定されていたので、みんなそちらで酒を飲んでいたからだと思います。実際、後方通路あたりは終始たくさんの人で賑わっていました。

来年もよりパワーアップして開催できることを期待しています。そのときはまた集いましょう!

TOKYO BLUES CARNIVAL 2022基本情報
http://bluesginza.web.fc2.com/black.ap.teacup.com/sumori/1961.html


ブルース | 12:30:00 | コメント(0)
ハリウッド・ファッツのドキュメンタリー映画へ支援を
1970年代から80年代のロサンゼルスのブルース・シーンにおいて活躍したブルース・ギタリスト、ハリウッド・ファッツ(本名:マイケル・レナード・マン)。

彼が結成したハリウッド・ファッツ・バンドは、ウェスト・コーストらしいスウィング感にあふれ、ブルース・バンドの理想形とも言えるサウンドを展開していました。しかし、彼はドラッグの過剰摂取により、32歳の若さで他界。このバンドは伝説的な存在となったのでした。

バンドの元メンバーでキーボード奏者のフレッド・キャプランがハリウッド・ファッツのドキュメンタリー映画を作るべく動き出しています。映画には未公開の演奏映像を始め、ミュージシャンたちのインタヴュー映像も多く含まれる予定とのことです。ハリウッド・ファッツの動く映像自体僕は見たことがないので、これは非常に期待してしまいます。

バンド唯一のオリジナル・アルバム(Hollywood Fats Band)音源 (1979年)


尚、ファッツが亡くなったあと、バンドのメンバーたちは各方面で活躍しておりますが、2000年代に入ってから、ファッツの代わりにジュニア・ワトソンやカーク・フレッチャーが加入する形で「ハリウッド・ブルー・フレイムス」という名前でバンドを再結成しています。これまで同名義にて4枚のアルバムをリリースしていますが、オリジナル・ドラマーのリチャード・イネスが2015年に、ベースのラリー・テイラー(キャンドヒートやトム・ウェイツとの活動でも知られた人です)が2019年に亡くなっています。彼らを含むバンドの足跡についてもどう触れられるのか、非常に興味があります。

フレッドは、映画の制作資金をクラウドファンディングにて募っています。
ぜひ、ハリウッド・ファッツ・ファンの方はもちろん、音楽ファンの皆さんに幅広い支援をお願いします。

HOLLYWOOD FATS DOCUMENTARYクラウドファンディング・ページ(GoFundMe)
https://www.gofundme.com/f/hollywood-fats-documentary

Hollywood Fats Band/Hollywood Blue Flames公式サイト
https://www.hollywoodfatsband.com/


ブルース | 12:26:39 | コメント(0)
追悼、Guitar Shorty
Guitar Shorty at 1999 Long Beach Blues Fetival
Guitar Shorty
at Long Beach Blues Festival, 1999
(c)Masahiro Sumori. All rights reserved.

ステージで宙返りをしながらプレイするパフォーマンスでも知られ、あのジミ・ヘンドリクスにも影響を与えたと言われるブルース・ギタリスト、シンガーのギター・ショーティーが4月20日、ロサンゼルスで亡くなったそうです。彼の元所属レーベルのアリゲーター・レコードが4月21日にリリース文で発表しました。詳細は不明ですが、自然死とのことです。これまで彼は1939年生まれとされた資料が多かったのですが、アリゲーターのリリース文では1934年生まれとなっています。ということは87歳だったということになります。

本名デイヴィッド・ウィリアム・カーニー (David William Kearney)。ヒューストンで生まれました(フロリダ生まれという説もあるようですが)。幼少期をフロリダで過ごし、17歳でウォルター・ジョンソンのオーケストラに加入。1957年にウィリー・ディクソンに見いだされて名門コブラ・レコードからデビューを果たします。その後オーティス・ラッシュ、ギター・スリム、レイ・チャールズといった人たちとツアーに出るようになりました。この頃、ショーティーは拠点をロサンゼルスに移します。1959年にはロサンゼルスの零細レーベル、プル(Pull)に6曲をレコーディング。その中には彼の代表曲のひとつとなったマイナー・ブルース”Hard Life”がありました。


1960年代に入ると、シアトルやヴァンクーヴァーに移住。この頃ジミ・ヘンドリクスの義理の妹、マーシャと出会い結婚しています。この縁でジミとも親交を深めるようになりました。1960年代初頭の話なので、まだジミがスターになる何年も前の話。恐らくまだ彼が10代だった頃ではないでしょうか。ショーティーによると、ジミがギターを燃やすパフォーマンスをするようになったのは、ショーティーのように宙返りができなかったからだそう。真相はわからないですが、ショーティーの存在がジミのステージ・パフォーマンスに少なからず影響を与えたのは確かでしょう。

ショーティーはジミをブラザーと呼び、彼のレパートリーだった”Hey Joe”をライヴでも演奏していました。


ショーティーは1970年にマーシャと離婚。同年ジミも他界し、その後再びロサンゼルスに戻りました。しかし、彼はその後はレコード契約には恵まれず機械工として食いつなぎながら、地道に音楽活動も続けていたようです。彼の自己名義の作品は1985年まで待たねばなりませんでした。ショーティーのマネージャーが興したレーベル、オリーヴ・ブランチから、この年、名刺代わりとも言える一曲”They Call Me Guitar Shorty”をシングル・リリース。1989年には同レーベルから「On The Rampage」でアルバム・デビューも果たしました。

1990年代に入ると英国ツアーの話が舞い込み、これを機に1991年、英国のブルース・レーベルJSPからアルバム「My Way On The Highway」をリリース。この作品で彼の存在が初めて広く知られるようになったと言っていいと思います。

そして彼の存在感を決定づけることになったのがそれに続くブラックトップ・レーベルからの1990年代の3枚のアルバム(「Topsy Turvy」、「Get Wise To Yourself」、「Roll Over, Baby」)でした。いずれもニューオーリンズ勢を中心とした達人ミュージシャンたちがバックをつけた丁寧な仕上がりで、元気なギター・プレイはもちろん、ソウルフルな歌声など、ショーティーの魅力を余すところなく伝える快作となっています。

1999年にはスモーキー・ウィルソンとのジョイントという形で初来日。東京六本木のSweet Basilにて公演を行いました。2003年にも再度来日しています。
1999年来日情報 http://bluesginza.web.fc2.com/news/smokey_shorty.html
2003年来日情報 http://bluesginza.web.fc2.com/news/yob.html

2000年以降もエヴィデンス・ミュージック、アリゲーターとレーベルを変えて作品を出し続けました。最後の作品となったのは2019年リリースの「Trying To Find My Way Back」(Essential Music)。プロデュースにはスワンプドッグが関わっています。



歳を取ってからも比較的最近までちょくちょく活動が伝わって来ていたショーティー。以前ライヴ会場でサインをもらいましたが、非常に人当たりのいい人だったのを覚えています。RIP。

guitarshorty4.jpg


ブルース | 18:00:00 | コメント(0)
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